ヘッダーイメージ 本文へジャンプ
大田地区の概要

 大田地区は昭和30年1月10日、4村が合併し世羅町となり、平成16年10月の平成大合併により3町で新たに世羅町として生まれ、行政及び経済の中心として重要な地域として位置づけられております。
 全国に「大田」と名のつく土地は多くありますが、その由来のほとんどが「大きな田圃が広がっているところ」を指し示されているということです。
 平安時代の文献に「大田郷」という郷名がみられ、これが今の東大田地区で大田川(芦田川)の恩恵で開けた、当時としては比較的広い農地が展開していた場所と想定されていました。芦田川上流域である世羅大地は、水源地域であるために、その大部分はあまり広くない多くの谷が山々によって連ねられており、この「大田」と称する場所は、耕作しやすい土地の広がる貴重な場所であったと考えられたようです。
 その地形的な様子を河川名に反映したものが「大田川」の由来と考えられています。また、このことが後の時代の中世において展開し、全国的にも有名な庄園「備後国大田庄」の名前のゆえんとも目されています。



フッターイメージ